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泉丘―八日市、65年前の甲子園の熱闘再びにOBも声援平成30年8月9日 昭和28(1953)年の全国高校野球選手権大会で対戦した北陸代表の泉丘高校と京都・滋賀代表の八日市高校(滋賀県)の現役野球部が8月9日、同県東近江市の湖東スタジアムで「再戦」した。八日市高の創立110周年記念事業の一環で、65年前に甲子園に出場したOBたちも応援に駆け付け、現役生たちは再び甲子園での対戦を誓い合った。 金沢からの応援団は当時、9番・左翼で試合に出場した徳光重希さん(泉丘6期、82歳)、控えの捕手・田中征治さん(同8期、80歳)、一泉野球部OB会の前会長・宮地治さん(同23期)ら11人。スコアボードに4−1=写真1=で泉丘が勝った甲子園のインニングスコアが掲示された中で開会式が行われた。岩田篤夫八日市高校校長と小泉英二同行同窓会会長が開会宣言と歓迎のあいさつを行い、泉丘高校野球部に記念のバット2本とボール2ダースが贈られた。 続く始球式は八日市高甲子園出場チームの主将でエースの中村守男さん(83歳)が務め、泉丘の田中さんが4年前に亡くなった自分たちのエース・村井理朔投手の遺影を胸に抱いて眺めた。試合は打ち合いになったが泉丘が4−10で敗れた。2回表、泉丘攻撃の前に八日市高吹奏楽部が泉丘高の校歌を演奏、スタンドから大きな拍手が送られた。八日市高は昭和49(1974)年に農業部が分離独立、八日市南高校となったため第2試合は泉丘―八日市南戦が行われ、こちらは7−4で泉丘が勝った。 試合の合間には徳光さんが八日市の甲子園出場選手4人と懇談=写真2=、7回表に本塁寸前でタッチアウトされた八日市の捕手・市田史朗さんから当時の話を聞かされ、「向こうもあのプレーを覚えていた」と感慨深げだった。 |
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