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2006年『一泉行列』 ・平成18年 8月31日(木) 金沢泉丘高校の第58回創立記念祭は9月1日から3日まで、にぎやかに開催された。今年から前日祭に位置づけられた、恒例の「一泉行列」は8月31日、OB56人を含む総勢350人が金沢市内のメインストリートを練り、一中・泉丘の心意気を示した。
一中の「桜章校跡地」本多町から香林坊−片町−有松を経由、泉野出町の現校舎まで4.5キロを約1時間半かけて歩くこの行列は「一中魂から泉丘魂」への継承を目指すもの。OB参加も年々増え、昨年の倍増となった。 午前10時10分に金沢市観光会館前を出発。蚊谷八郎一泉同窓会長(泉丘14期)、村本喜和子同副会長(通信28期)をはじめ、 最年長の山本道生野球部後援会長(一中54期)らが、一中・泉丘の応援旗をかざして母校をめざした。また水泳部OBの「泉泳会」は幟旗を登場させたが、最大の特徴はOGが7人も参加したことだった。 11時45分、母校グラウンドでの到着式では、蚊谷会長が「在校生と共に一中・泉丘ここにありと県民・市民に十分にアピールできた。ありがとう」と述べた。 『泉寿会』同窓会 ・平成18年 8月16日(水) 泉丘10期卒「泉寿会」の平成18年度総会が8月16日、湯涌温泉の「かなや」(安藤精孝社長・同17期)で開かれた。温泉1泊の総会は2年ごとで、今回は56人が参加した。
浅野善隆事務局長の司会でまず53人の物故者に黙祷をささげ、若林茂樹会長が再会の喜びを語り、遠来勢の労をねぎらった。懇親会の司会は山田久幸君が務め、中山修副会長(次期会長)の乾杯発生で酒宴が始まった。 途中、関東からの7人を代表して金子兵衛会長代行、関西からの6人を代表して堀内寛司会長があいさつ、尽きない歓談の後、校歌を歌って閉めた。2次会は場所を変えてカラオケ大会となり、いつもながら深夜まで楽しい時を過ごした。 翌17日の観光には23人が参加、ガイド付きの兼六園と 金沢城址公園を散策した。また、16日朝から「白山カントリー倶楽部」での懇親ゴルフには16人が出席、茅ヶ崎市から初参加の宮腰幸男君が優勝した。 『八泉会』同窓会 ・平成18年 8月12日(土) 泉丘8期卒「八泉会」の卒業50周年同窓会が8月12日、「金沢ニューグランドホテル」で恩師の普神貴行先生を向かえ、108人が集まって開かれた。
午後2時からの総会は中谷玲子さんが司会を務め、新しく就任した福田太睦代表幹事、細川外喜男初代代表、中村吉輝前代表がそれぞれあいさつした後、同期の鳥越嵩竜勝寺住職の読経で故人となった45人の法要を営んだ。 続いて同中川外司氏が「知ってほしい一中の先輩 八田與一の偉業」と題して講演、普神先生のあいさつ、同じく中山道子さんのバイオリン演奏、元音楽部員の合唱など盛り沢山の出し物が披露された。 同5時からの懇親会は加藤弘雄氏が司会、各地区代表による鏡割りで幕を開け、個性豊かなスピーチやカラオケの熱唱、ビンゴゲームなどで盛り上がり、最後に全員輪になって校歌を歌い、懐かしい高校時代にフラッシュバックした。 会場を変えた2次会も大盛況、昔話や世間話に花を咲かせ、次回の再会を約束しながら散会した。 (茶屋勝也・記)
『泉丘29期』同窓会 ・平成18年 8月12日(土) 泉丘29期の同窓会が平成18年8月12日夕、「金沢スカイホテル」で開かれた。時々気の合った仲間で集まっているが大々的な集いは平成10年以来8年ぶり。参加した68人は思い出話に花を咲かせた。
まず、物故者に黙祷をささげた後、期代表の川北哲氏の乾杯で宴が始まった。テーブルは、クラス別けだったが開宴後すぐに誰彼となく入り乱れ、昔話に酔いしれた。そして、元応援団の竹内均氏の音頭で懐かしい校歌を合唱、久しぶりの同窓会開催に精力的に動いてくれた押野毅氏の中締めで、1次会は盛会のうちに終わった。場所を変えた2次会にも約7割が参加、走馬灯のように流れ出てくる思い出の1コマ1コマを確認しあった。「2年後ぐらいに恩師を招いてまた集まろう」と約束して散会した。 (広多清一・記)
『泉丘36期』同窓会 ・平成18年 8月12日(土) 泉丘36期(昭和59年率)は8月12日、「金沢ニューグランドホテル」で 10数年ぶりに同窓会を開いた。92人が出席、招いた恩師5人を囲んで楽しい真夏の1日を過ごした。
当日はテレビ・ラジオでお馴染み、同期の「角野達洋」北陸放送アナウンサーの司会で始まった。出席いただいた長柄勝美、畑野禎、中橋大通、加藤茂芳、西谷隆の5先生方の元気なお姿と話にまず感動、久しぶりの人、卒業以来の人などさまざまであちこちに話の輪ができた。多少?体形と髪型は変わっていても、すぐ高校時代に戻れるのが同窓会の良いところ。 あっという間に2時間が過ぎた。懐かしさで分かれづらく片町へ流れた2次会、3次会、4次会まで語り合う仲間もいた。 サッカーワールドカップに併せての次回開催を考えており、今回出席できなかった人も次回は出てくれることを願っています。 (高宮一朗・記)
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